何故問題解決思考を使えないのだろう?(1)

仕事柄、いろんな場所へ行き、いろんな方と会います。

問題解決力が話題になると、こういう展開になることが多いんです。


「本は読んだけど、問題解決力って難しいですよね。」

「理屈はわかるけど、使えない。」

「職場で何かあったときに、ツリー図なんか書いてられないよね。」

「そもそも、ツリー図なんて書けるのか?本を読んでると簡単なように思うけど、自分で書こうと思うと無理ッ。」

「MECEが大事なことわかるけど、職場で上司にMECEで考えましょうなんて言えない。」

「いつもの自分をリセットしなきゃだめなんですよね。そこに抵抗があるんです。」

「自分の中にない思考法を新たに身につけるなんて、並大抵のことではできないでしょう、訓練が必要ですよね。」

(あれ、問題決思考って精神論が必要なのか?)

 

使えない。

使えない。

使えない。

 

みなさん揃ってそう言います。

 

ほんとにそう?

みんな普段から無意識に使っていると思うんだけど。

 

そこである時からこう話すことにしました。

「問題解決思考って言っても、そんなに特別なことじゃないんです。実は私たち、普段から使っているんです。だから、もともと持っている考え方だと思ってください。

ただ、ずいぶん前に習得したので、使い方に癖やひずみがでてきています。
その癖を直して、バージョンアップするのが大事という程度に考えてもらったらいいですよ。」

そう伝えると、皆さんホッとした表情とはてな?マークが入り混じった表情を浮かべます。


「なんだ、そんなに難しくないんだ、よかった。」

「でも、普段から使ってるってどういうこと?」

ということらしいです。

問題解決って、よほど恐ろしい感覚を呼ぶ熟語なんですね。

「どうだ、この画数の多い四文字熟語。怖いだろう~。一般人にはわからないだろう、こんなに画数の多い単語を日々使ってるんだぜ、俺達は。」と考えているコンサルタントが流行らせたのかもしれません。(冗談です。でも、そんなこと言いそうなコンサルタントは知っています。)

 

次の回で、普段から使ってる例をあげてみますね。